こんにちは。
料亭旅館三田清プランナーの細野です。
今年は本当に寒暖差の激しい日が続きますね。
昨日はカーディガンでも過ごせそうな暖かさだったのに、
今日はコートにマフラーが必要になったりして、
服装選びも迷子になりがちです。
朝晩の冷え込みと昼間の暖かさに加え、
季節が日ごとに変わるようなこの時期。
木々の紅葉や街のイルミネーションなどの
変化が生み出す、今だけの季節感を
楽しみたいものですね。
さて、12月の一大イベントといえば、
やはりクリスマスではないでしょうか。
クリスマスの歴史は意外と古く、
キリスト教の伝来と紐づいています。
フランシスコ・ザビエルとともに
日本で布教したコスメ・デ・トレースが、
1552年に山口県で日本人の信徒たちを招いて、
キリスト降誕祭のミサを行ったことが最初だそう。
江戸時代に入ってからは
キリスト教が禁教とされたため
クリスマスは途絶えてしまいました。
ただ、長崎の出島のように外国人が出入りする場所では、
冬至のお祝いに見せかけてひっそりと祝われていたようですね。
それから数百年ののち明治時代になってから、
クリスマスは日本にゆっくりと定着していきました。
いち早く生活に取り入れたのは、
なんと俳人の『正岡子規』だと言われています。
1892(明治25)年、25歳の正岡子規は
<臘八(ろうはち)のあとにかしましくりすます>
という句を詠みました。
臘八とは、お釈迦様が悟りを開いて仏になった成道の日のことです。
おごそかな仏教行事の後に
にぎやかなクリスマスがやってくるという意味で、
当時の子規は華やかなクリスマスに対して
「ちょっとやかましいな」と感じていたようですね。
とは言え、子規自身がクリスマスを季語にしたのも事実です。
クリスマスは5文字の言葉。
俳句の季語にするにも、ちょうどいい長さだったのでしょう。
それから4年経って、子規が詠んだのは
<八人の子どもむつましクリスマス>。
やかましさとはうって変わって、
クリスマスをほほえましく思うように
なっている様子が感じられます。
また、ちょうど1900(明治33)年には、
明治屋が銀座でクリスマス向け商品の販売を開始しました。
お店にもクリスマスらしい飾りをほどこして
大々的なセールを行ったとされています。
こうしてクリスマスは少しずつ日本に浸透し、
今では欠かせない行事のひとつとなりました。
皆さまは、今年のクリスマスはどのように
過ごされますでしょうか?
ご家族、パートナー、お友達。
大切な人と一緒に過ごす方もいらっしゃれば
そうではないという方もいらっしゃるかと思います。
いずれにしても、自分なりの楽しみ方ができれば
それに尽きますよね。
クリスマスに限らず、お忙しい年の瀬に
自分や大切な人をねぎらうためにも、
美味しいお食事をいただくひと時はいかがでしょう。
ご来館いただくお客様お一人お一人にご満足いただけるよう、
スタッフ一同、お料理もおもてなしも磨きをかけております。
2023年中は大変お世話になりました。
来たる2024年も料亭旅館三田清をご愛顧賜りますよう、
よろしくお願い申し上げます。